異なる選択

日本のサムライが、異国の地で偉業を成し遂げた日に、ひとりの歌姫が自らの命を絶った。

「怨歌」と称される魂の叫びを表現法として、星と輝いている最中、突然、その表舞台から姿を消し、生き様という最期の表現を最後にこの世から旅立ったのだ。

同じく「生き様」をその表現法として生きた、ひとりの女優がいる。日本の映画史にその名を残す原節子、その人です。


人生における出会いと別れ。得るものと失うものすべてが演じる役どころの女優業に心血を注ぎ、奇しくも同じような選択をする。

15歳でスクリーンにデビュー。翌年にはドイツとの合作映画「新しき土」(’37)でヒロインに抜擢され、巨星としてその輝かしい映画人生に、眩いばかりの光を放ち始める。


1949年、「晩春」を皮切りに「麦秋」、そして「東京物語」と小津安二郎と巡り会い、“ 紀子三部作 ”と呼ばれる小津の代表作品を、小津と共に創り上げた。



http://www.youtube.com/watch?v=hQ0Xp9Qr_sU&feature=share&list=PL8363C54F1868510A


「晩春」、「麦秋」では父親や結婚の問題に悩む娘として。そして、「東京物語」では戦争で最愛の夫を亡くした未亡人として登場し、表現をおこなう。


東京物語の劇中、死んだ夫の父である、笠智衆演じる周吉からの言葉。


http://youtu.be/LjDWc-lQYnM


「本当にあんたが気兼ねのう、先々、幸せになってくれることを祈っとるよ。本当じゃよ」という言葉で、「死」を乗り越え、前を向いて歩いていって欲しいという願いに泣き崩れる、素晴らしい演技を披露。

あろうことか、63年の小津安二郎の急逝と同時に銀幕から、その姿を消す。それ以降、彼女は一切、公の場に姿を見せなかった。


奇しくも最期は別の選択をするが、生き様によっての表現方法は共通するものを感じる。


なにものかに「人生を捧げることの意味」を、問いかけられた気がした。




◆「晩春」  http://youtu.be/EHDjRL7I7k4



◆「麦秋」  http://youtu.be/D77KYlKEt5I








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