ある秋晴れの朝に、考えたお話
早朝、目覚める。
秋らしい、穏やかな快晴。
晴れてよかった。今日は、社員の結婚式なのだ。
今年に入って4組目である。いつも、主賓挨拶で、何を話そうかと頭をかかえてしまう。
以前は、師匠である内田樹先生の入れ歯の話などを、引用させていただいたりしましたが、最近はもっぱら、講習会などでスタッフにお話することを、そのままお伝えしています。
たくさんあるけど、そのなかのひとつを。
人は、欲しいものを手に入れるために働き、生きる。
お金だったり、権力だったり、人並み外れた美貌や身体能力だったり。
お金があれば、便利な暮らしができるだろう。
でも、必要以上に持っていると、たいへんなことも生じるのです。
ちょっとやそっとのことでは喜べなくなるし、周りに集まる人が、ほんとうに自分のことが好きで集まってくるのか、本当は自分の背後にあるお金に集まってくるのか見分けがつかなくなる。それは、親兄弟であっても・・
権力の前で、人はひれ伏す。
大臣になれば、黒塗りの車がお迎えに来て、歩けば、一流大学を出た優秀な部下が、先回りしてドアを開けてくれる。たくさんの人が陳情にやって来て頭を下げる。けれど、一度、選挙に落選したら、いったいどうなるのだろう・・。
美しいものに人は憧れる。
伸びやかに、かっこいいフォームで、決勝のシュートを決め、金メダルを獲ったら、多くのひとが集まってきて、誉めそやし、ちやほやしてくれる。
しかし、その、人もうらやむ美貌や身体能力も、いつか、衰え、失われてしまう日がやってくる。
得てして、われわれは勘違いしてしまう。
莫大な財産や、権力、優れた美貌や身体能力があれば、すべてがうまくいくと・・。
ほんとうは、その先にあるものが欲しいことに気づかずにいる。当たり前過ぎて、忘れてしまうのかもしれない。
喉から手が出るほどに欲しいもの・・
それは、「他者からの、尊敬や敬愛を含めた愛」である。
手段(お金、美貌、権力)を手にすることに夢中になるうちに、本当に欲しいものを見失ってしまう。
すべての物事は、やがて時間が経過すると、輝きが失われる。エルメスのケリーやバーキンもやがては傷つき色褪せる。フェラーリも、ガソリンがなくなれば、ただの鉄の塊だ。
いまは若く、ラブラブでも、やがて年老いて、手を握ることも、キスすることさえもなくなる日が来るかもしれない。
けれども、お互いへの尊敬さえあれば、大丈夫・・・
というようなお話をさせていただこうと思う。
本番での模様は、明日。