巨星逝く  高倉健 「昭和残侠伝 死んで貰います」

シネマ部にて、先日亡くなられました高倉健さんを偲んで、「昭和残侠伝 死んで貰います」を鑑賞させていただきました。

ご担当は、任侠ものならこの方、英作さん。昭和史を彩るヤクザ映画の知識にかけては英作さんは専門家でらっしゃいます。







テレビのワイドショーで連日、高倉健さんの特集が組まれ、その半生は大きくクローズアップされています。健さんがメジャーになられるきっかけとなったこのシリーズでも、出世作「死んで貰います」を鑑賞した後でのお話は、大正から昭和にかけての時代背景、池辺良さん、藤(寺島)純子さん、長門裕之さん、津川雅彦さんをはじめとした競演者、日本人本来の義理人情の重さなどで話しは盛り上がりました。



このころの健さんの後光に満ちた肌の色つやと顔立ち。控えめで、嬉しさを正直に表さず、はにかむ表情は、この時代の男の生き様を代表するものだと思います。



義理と人情のために、自身の幸せを捨てでも、筋を通す究極の自己犠牲。

型にはまったストーリー展開ではありますが、この形式美を当時の日本人は大切にしていた。国民ひとり一人、大人子供の別なくして、正しいこと、筋の通ったことに対する道徳観や価値観が、共有されていたように感じます。

ところが、いまでは・・。



年齢の違うメンバーひとりひとりの時代背景に、寄り添う映画や俳優、スターは、驚くほど多種多様。聴いてきた音楽も、影響を受けた映画も。





時代は移り変わり、メディアは映画からテレビ、ビデオ、DVDを経てブルーレイ、オンディマンドへと。ソフトやハードが進化しても、作品の中に息づく人の存在は永遠だと。



銀幕の大スターとして語り継がれる人が、またひとり。





それでも、時計の針は止まることを知りません・・。


高倉健主演による人気シリーズ「昭和残侠伝」の第七弾。大和久守正のオリジナル脚本をマキノ雅弘が監督した。シリーズ最高傑作の呼び声も高い一作。
 花田秀次郎は東京深川の老舗料亭「喜楽」に生まれたが、父が後妻を迎えたときに家を出て、そのまま裏街道を歩き始めた。賭場で袋だたきにあった秀次郎は、銀杏の木の下でうずくまっているところを、芸者になったばかりの幾江に救われた。三年後、いかさま師を怪我させた秀次郎は逮捕され、刑に服することに。だが服役中に父が死去、関東大震災が起こり義理の妹も死亡、継母は盲目となってしまう。窮地に立たされた「喜楽」を救ったのは、板前の風間と小父の寺田だった。出所した秀次郎は「喜楽」の板前として働き始めるのだったが…。



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