家族の肖像  「トウキョウソナタ」

このところ、シネマ部で「北の国から」、「トウキョウソナタ」と家族の様を描いた作品が続いた。






誰しも、経済的に自立するまでは、家庭という形の中で父や母に依存して生きる。両親の言葉に従い、子供は両親に愛されようと努力をする。

大昔から、それが当たり前のことであったけれど、社会の状況の変化とともに大家族が核家族に形を変え、日本が経済的に繁栄、そして衰退するとともに、家父長の絶対的権力は力を失い続けている。


北海道の原野のもと、繰り返す波のごとくに不幸が訪れる「北の国から」の田中邦衛演じる吾郎の黒板一家は、かなり特異な例としても、小津以来繰り返されてきたその時代の家族の肖像が映画には描かれ続けてきた。






今回、I上さまのご担当で鑑賞させていただいた「トウキョウソナタ」も例外ではない。




終身雇用のはずであった会社からリストラされることから、家族は崩壊し始める。家族が、会社や夫やアメリカに裏切られ、守ろうとしてきたものを失っていく。




バラバラであっても尚、家族は家族として逃れることは出来ない。最後には、リアリティのない家族であることはともかく、次男の奏でるドビュッシーのピアノ・ソナタが、今いちど立ち上がろうとする姿にかすかな救いを見出させる。


役所広司演ずる強盗や、数ヶ月で、次男があの演奏が出来てしまうことを含めて悲しみを讃えたコメディとして観るべきなのかと思う。


当時はかなりの衝撃で受け止められたであろうこの家族を襲った不幸が、当たり前に受け入れられてしまう現代が恐ろしい。





I上さま、前回と今回、ご夫婦でのご担当ありがとうございました。