疾走の2日間、芦屋レフトアローン・ライブ

海の日の20日、そして21日、走り回った2日間でした。


ブログ更新が遅れて申し訳ございません。今回のお題は、我が社の社員のフナの結婚式と恒例の芦屋レフトアローンでの夏ライブ。結婚式の模様は、別のブログに。

http://blog.goo.ne.jp/antenne_navi/e/ad2b9d453cfe9e02c78408d866c8b05b




伊藤銀次さんを毎回ゲストにお迎えしての芦屋レフトアローン・ライブのお話を書かせていただきます。

毎回、ライブといっても、社会人が集まって行うバンドのことですから、練習もタイトなスケジュールを調整してになります。メンバーそれぞれに、仕事を持っていますからたいへんです。音楽好きの、いい大人が集まって、ひとつのことをやり遂げる意味を考えてしまいます。


数ヶ月前からぼちぼちと毎週の練習を重ねて、当日。当日でさえも、ジタバタして、会場に行く前に夙川のスタジオで練習。そして会場入りしてリハーサル。



始まってしまえば、あっという間の時間。それまでのプロセスの時間は、何だったのかというほど短く感じるものです。みなさんにもご経験がおありかと。






合間に、銀次さんとお話したり、古い友人と再会したり、楽しい時間も矢のように過ぎ去る。



こうして、旦那芸を研鑽することで、いいおとながさらに「大人」となっていくのであろう。



まあ、これも半玄人として、ひとつのサブカルチャーな文化を支える一旦となっているに違いありません。そう信じている。そのあたりは内田樹先生のこちらを・・。

http://blog.tatsuru.com/2015/04/27_1302.php

ちと長いので、抜粋して結びの一文を:


私たちの社会は「身の程を知る」という徳目が評価されなくなって久しい。「身の程を知る」というのは自分が帰属する集団の中で自分が果すべき役割を自得することである。「身の程を知る人間」は、おのれの存在の意味や重要性を、個人としての達成によってではなく、自分が属する集団がなしとげたことを通じて考量する。
それができるのが「大人」である。
私たちは「大人」になる仕方を「旦那芸」を研鑽することによって学ぶことができる。私はそう思っている。同意してくれる人はまだ少ないが、そう思っている。

まだまだ大人にはほど遠い自分を恥じつつ、おのれの素人芸の不出来に恥じ入り、それゆえ熟達し洗練されたプロの技芸への欲望に灼かれながら、やれるところまで続けていきたいと思う。




いつもお読みいただき感謝しています。