「選択眼」と「組み合わせ」の妙

入社2年目の若い社員に、「『天国への階段』っていう曲、知ってる?」と尋ねたら、見事に誰も知らなかった。










私世代なら、誰もが知っているレッド・ツェペリンの名曲。曲は聴きおぼえがあっても、おそらく、ビートルズ、クリーム、ストーンズなんかもご存じないだろうし、カーペンターズ、10cc、シカゴ、プロコルハルム、スティーリーダン、マービン・ゲイサンタナアントニオ・カルロス・ジョビンジョアン・ジルベルトセルジオ・メンデスイーグルス、ドゥービーブラザーズ、ボズ・スギャッグス、スタイル・カウンシルなんかも。きっと何の事だか、チンプンカンプンにちがいない。


若かりし頃、いまは亡きジャズ・ピアニストの友人と、1曲でいいから、唄い継がれていくスタンダードを書いてみたいねと話したものだ。



当時から、ほとんどのメロディ・ラインは出尽くしていたであろうし、悲しいかな、現代において音楽は消費されてしまうものになってしまった。




同じく友人のアニメーターの言葉だが、「いまのアニメーターたちは、クワガタ虫ひとつとっても、実物を手にとって、眺めたこともなく、写真をみて書いているにすぎない」と。手塚治、石ノ森正太郎など、日本のアニメのパイオニアの方々は、幼いころから、実物を肌で感じてきて描いているということだろう。http://www.nhk.or.jp/tedu-ishi/

その独特のフォルムや色やツヤ感、チカチカと肌にひっかかる脚の感触までを知る子供は確実に減少している。


やり方を考えて、石や草木から、遊び道具を作った世代。プラモデルを組み立てた世代。そして、完成されたものを組み合わせるだけの世代。



勘違いされないでいただきたい。


完成された事物を否定したいわけではありません。ますます、その選択眼と組み合わせる感覚の重要性を感じるからです。



コンピレーション・アルバムの時代から、MTV、DJ文化を経て、YOU-TUBEをあければ、そのシチュエイションにあわせて40〜50曲、連続して曲が聴ける時代。コンサートなどで、ライブ感を肌や耳で、直接、身体で感じることが意味を持つ時代。


一昔前と比較できぬほどに、あらゆるジャンル、スタイルの衣服がサイズ違いで揃い、デザイン、価格もこなれた。


金に糸目をつけなければ、世界中の料理が1流のシェフにより、洗練されたインテリア、最高のサービスで味わえる現代。



その根の部分を遡り、考え、チョイスすることがより肝要かと。


インナーは、1〜2年で消費するものとして、流行りのデザイン、機能性を重視すれば安価なものを選ぶ方が賢明だし、アウターは、飽きのこないデザインで、耐久性や質感重視でいくべきだろう。


PCや携帯のようなガジェットなら、何がしたいのか、使いこなせる機能の範囲、安全性、ランニング・コストに目を向けるべきだ。


シャンプーなら、髪の毛重視よりも、工場にあたる地肌によいものを選ばれることをお薦めします。



この贅沢な時間が、いつまで可能なのかは、神のみぞ知るですが・・。それに続く階段が、いつまでも、途切れぬことのないよう祈るのみです。




◆「天国への階段」レッド・ツェペリン

http://www.youtube.com/watch?v=w9TGj2jrJk8&feature=share&list=RD32rq7rtmkFs7U