落ち葉、舞い散る場所で思うこと
朝から駐車場で巨大な固まりとなった落ち葉のを発見し愕然とする。
鳴尾御影線の通りには落葉樹の街路樹が続く。この季節、恐ろしいほどの落ち葉が散乱して、芦屋オブリコルールの駐車場に吹き溜まってしまうのだ。
イガとふたり、手やほおきでかき集めゴミ袋に詰めていく。途中、美容商材のディラー担当のU原さんが手伝ってくださる。申し訳ないです。
46ℓのゴミ袋に6杯。
雪国では、積雪が始まり、毎朝、家のまわりを雪かきしなければならない地方の方々からみたら、笑われるに違いない。
雪は冷たく重く、その仕事量は想像を絶する。
誰かが誰かのために、とにもかくにも行うべき仕事。その仕事をやってのける善意を持つ人々のおかげで、この世界はなんとか成り立っているのだ。センチネルの存在。
人間の賢しらが、「人間が入っては行けないエリア」に踏み込むことを制止し、反対に「非人間的なもの」が人間の世界に侵入して、人間的秩序を壊乱することを食い止める。そのためにこの境界線には裁き人がおり、教師がおり、医療者がおり、聖職者がいる。僕はそういうふうに考えています。そして、この境界線を守る人たちのことを歩哨(センチネル)と名づけています。
上の一文は、「日本霊性論」内田樹、釈徹宗、著からの抜粋です。
目から鱗。ぜひ、ご一読ください。
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