許されざる者 クリント・イースットウッド

映画における表現は、まったくの自由。

なにか伝えたい主題を持つものもあれば、観終わった後、単にスカッとしたというだけのエンターテイメントも存在します。


先日、書かせていただいた「ジャンゴ」がエンターテイメント寄りとするならば、その対極にある西部劇をということで、クリントイーストウッドの「許されざる者」を再見しました。




http://youtu.be/XDAXGILEdro

愛する妻により、荒事からは足を洗って堅気になっていたウィリアム・マニーの元へ若いガンマンが訪れる。娼婦の顔に傷を負わせ賞金をかけられた無法者を追い賞金を稼ぐ目的で。
マニーのかつての相棒ネッドを加えた3人は追跡行に出かけるが、その頃、町の実力者の保安官ビルは疎ましい賞金稼ぎのイングリッシュ・ボブを袋叩きにしているところだった。やがてビルの暴力が黒人であるネッドにも及ぶ。それを知ったマニーは・・。

「ジャンゴ」では人種差別をテーマに挙げ、勧善懲悪を貫き、登場人物はシロとクロとにはっきりと分かれます。


ところが、「許されざる者」では、主要な登場人物の内面に踏み込み、みなが悪の要素を持ち、人を殺しても生きていく人間の業の深さと、犯した罪に苦悩する心理が、そのテーマになっています。


西部に生きる生と死をかけたアウトローたちの争いの虚しさを描いていますが、決してアクションに終始する作品ではなく、静謐なタッチで人々の生きざまを見つめている作品です。


イーストウッドは、「マジソン郡の橋」でも、雨の中、恋人を追いかけ、禿げあがった額をそのまま映像にする硬派な監督。

イーストウッド演じるマニーは、この作品でも時代考証に忠実に、リアルな生きざまをあらわにします。すでに歳をとり、顔まで豚の糞にまみれ、馬にも満足に乗れないみじめな姿をさらすのです。




モーガンフリーマン演じる相棒ネッドは、インディアンを妻にした黒人であり、マイノリティを象徴。人を撃ったあと、後悔して、途中で仕事を降りますが、途中で捕まりなぶり殺される。その姿が、マニーを昔の悪党に・・

矛盾して不条理だらけの人間が何か一つ人生で寄りかかっている信念やら希望を描かせると、イーストウッド監督はやはり巧い。


邦画でリメイクされ、李相日(リ・サンイル)監督がメガホンをとっている。そちらも評価が高いようです。