「わかった」はないのだ
御影、住吉。朝稽古。
審査の日でした。
精進が足りず、畳の上で、また真っ白になった。
振り返りをしつつ、ワンコと夙川を散歩。
緊張すると、呼吸が浅くなり、脳に酸素が十分にいかず、思考もままならない。
内田師範が、読み上げられた技をおこなわねばならないが、すぐに技の把握ができない。足の捌き、組手など、決められた手順がある。相手が動き出すより、一瞬早く先手をとることが求められます。
本来、聞いた瞬間に身体が動きださねばならない。頭で考えて、動作に移るでは遅いののだ。ひとつの技だけで、何通りもの手さばき、足さばきが存在します。
DVDを何度見直そうが、実践とは別物。
合気道では、「わかった」はない。それほど奥が深いと感じます。
日々の生活の中でも、世の中や人間関係の機微はとても複雑に出来ていて、わかった気がするだけ。実は何も分かっていないことが大半です。理解できないものが、この世に存在するということが理解できているのかどうかが、子供か、あるいは大人かの試金石になるように感じます。
世の女性の大半は、優しい男性がよいという。
やさしい男性でも、優柔不断でデートの行く先が決めれないとか、決断をして印鑑が押せない男性ではいかがでしょう?
逆に、強い男が好きとしましょう。
グイグイ引っ張ってくれるけれど、こちらの意見も聞かず、独善的な亭主関白だったらどうですか。
人も物事もすべてのものには、いい面と悪い面があり、「絶対に正しい答え」はないと感じます。よく見えても、逆からみればまったく違って見えたりする。よく見える見方、悪く見えるみ方が存在するだけ。
合気道では、とにもかくにも、頭で考えるより、身体に覚えてもらうしか手がない。真っ白になっても、身体が自然に動いてしまうまで、練習あるのみです。